大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和58年(行ツ)17号 判決 1984年7月17日

東京都渋谷区渋谷二丁目九番一〇号

青山台ビル四〇一号

上告人

三陽地所株式会社

右代表者代表取締役

関口光太郎

右訴訟代理人弁護士

藤井英男

古口章

東京都渋谷区宇田川町一番三号

被上告人

渋谷税務署長

小寺金一

右指定代理人

崇嶋良忠

右当事者間の東京高等裁判所昭和五五年(行コ)第一一号法人税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五七年一〇月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人藤井英男、同古口章の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう部分を含め、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治)

(昭和五八年(行ツ)第一七号 上告人 三陽地所株式会社)

上告代理人藤井英男、同古口章の上告理由

第一 原判決は、左の点につき採証の法則に違反するものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

一 原判決は、証人らや原告(上告人)代表者の各供述の評価にあたり、その供述が記憶違いなどである場合と、意識的な虚偽である場合との区別をせず、これを漫然と同一視し、各供述部分が事実に反することを指摘するのみで、それ以上特段の検討もせず、何ら根拠を示さないまま「虚偽の証言」であると決めつけている。例えば、証人福岡広について「昭和四八年五月二二日原告から福岡兄弟に支払われた本件土地代金七九、〇二三、三五〇円について、右の日より一週間程後に丸福住宅株式会社の谷口という人から受け取つたと明らかに虚偽の証言を行い」とし、柳達雄の証言について「七六、一六〇、〇〇〇円は昭和四八年五月三〇日に原告から福岡兄弟に直接支払つてもらい、残りの代金は右の日よりも前に自分が現金で福岡広に支払つたと虚偽の証言をなし」とし、原告代表者の供述について「右七六、一六〇、〇〇〇円は同月二二日に福岡広側に支払いずみであつた旨その供述を変更するに至つた。単なる記憶違いとは認めがたい右供述の変更は」と決めつけている。しかし、右の代金支払日については、現実に現金で支払われたり、当事者間で小切手などのやりとりがあれば格別、実際には、預金獲得を使命とする銀行員が、詳しい説明をするまでもなく、預金口座をつくる書類等をもつてきて福岡広と原告代表者に署名させただけであり、当事者の実感としては、その五月二二日に支払があつたという印象はうすかつたと考えられる。右各証言、供述は、よくありがちな「思い違い」である。これをもつて意識的な虚偽であると認めるべき根拠は全く存在しない。

二 原判決は、右のように、証言や供述の一部に虚偽があるから、他の部分も信用できないと推論している。しかも、その推論は、上告人の主張にそう部分は証人らの思いちがいであろう、というのではなく、上告人らの主張にそう部分も証人らの意図的な偽証であろうというのである。原判決は、上告人の主張にそう証拠は全て、単に「措信でき」ないというにとどまらず「内容虚偽のものと考えられる」と断定しているのである。

右断定は、結局、本件の土地売買契約は、上告人と福岡兄弟との間の一回限りしかなく、柳達雄と上告人の契約など全く架空のものであり、そもそも当時、柳なる者が本件に関与したこと自体なかつた、という認定とならざるをえない。

しかしながら右の断定をするに足る証拠はないし、その根拠理由はどこにも示されていない。

むしろ、原判決自体が、「控訴人は、控訴人と上記柳達雄間の本件土地売買契約は、昭和四八年五月三〇日に、日本信託銀行大船支店において、同銀行の行員牧野利博らが立ち会つて締結され、その際第一号証の一の契約書が作成されたものであり、真実のものである旨主張し、甲第一四号証の一ないし三の写真を提出し、かつ、右主張にそうものとして当審証人山崎哲樹、同福岡広、同牧野利博、同福岡辰雄の各証言がある。」と認めているのである。

これらの証言等によれば、本件契約が福岡広宅と銀行との二回行なわれたこと等は各供述に一貫して明瞭に述べられており、それは少なくとも、上告人の主張が全く架空のものではないことを意味している。

こうして、原判決の認定は、上告人の主張が全く架空のものであるか否かについて、首尾一貫しない認定となつているのである。

三 また原判決は「なお、当審証人山崎哲樹、同福岡広の各証言中には、訴外福岡広らが同柳達雄に本件土地を売却したのは、訴外福岡皓の指示によるものであり、契約上は控訴人との間の売買代金と同額であるけれども、福岡広に裏金を上積みすることが条件であつた旨の供述があるが、その裏金の総額も授受の当事者及びその内訳も不明の点が多く、右供述はにわかに措信しがたい。」とするが、これも「裏金」という事柄の正確を見誤つている。裏金は、元々、福岡広や柳達雄の側で上告人をだまして授受したものであるうえ、福岡、山崎らがこの所得を税務署に隠して「脱税」しているのであるから、各人の思惑で、その金額や当時者について自己に有利に供述することが充分ありうることである。大切なのは、そういう立場の各証人が裏金の存在を明瞭に認めたことであり、自己に不利益な供述はそれ自体として信用性が高く、相当金額の裏金が動いたのは確実である。

四 また、原判決は、福岡広の証言が「自ら関口光太郎との間で本件土地を右代金で原告に売却する話をまとめながら、丸福住宅株式会社との間で右と同額の代金による売買をまとめてくれた福岡皓に三、〇〇〇、〇〇〇円ないし五、〇〇〇、〇〇〇円もの謝礼を支払つた(なお、福岡広は、当審においては、売買代金の上積分一、〇〇〇万円のうち三〇〇〇万円を自分がもらい、残りの七〇〇〇万円とそのほかに謝礼三〇〇万円、合計一、〇〇〇万円を福岡皓に渡した旨供述している。)]としていることをもつて、「不自然な証言」であると決めつけている。しかし、福岡皓が立て役者となつて、柳達雄との契約を介在させ本件土地を上告人により高く売りつけ、福岡側にも高金としてリベートが入るように仕組んだという上告人の主張から見れば、右の証言は、金額等において不正確なことはありえても、まことに自然な証言であり、もつて同証人の証言が信用できない理由には到底なりえない、右証言が「不自然」なのは、原判決の認定を前提にするから不自然に聞こえるだけである。

五 更に原判決は、上告人の主張にそう証人山崎哲樹、同福岡広、同牧野利博、同福岡辰雄の各証言について、「控訴人と福岡広ら間の本件土地の売買契約書(乙第一号証)の作成については、比較的明確に供述しているが、控訴人と柳達雄間の本件土地の売買契約書(甲第一号証の一)の作成については、控訴人自体その表紙は昭和五一年一月ころ税理士の指示により貼付し契約書と合綴した上割印したものである旨主張するのみならず、右契約書の作成の経緯、年月日、立会人等の点については曖昧な供述が多く、右控訴人提出の各証拠によつても、控訴人と柳達雄間の売買契約の成立を認めるに十分でない。」とする。

しかし、これは全く理由になつていない。

先ず、乙第一号証の成立については当事者に争いがなく、例えば、牧野利博は直接自分が文章タイプなどにも関与したことから、当然明確に覚えているのであり、これと甲一号証の成立についての供述とを比較すること自体がおかしいのである。仮に、乙第一号証の成立にも争いがあり、証人に対し様々な角度からその成立経緯、年月日などを問い正せばその供述はきつとあいまいになつてしまうであろう。また、右各証人は、自分で甲一号証を作成した訳ではないのだから、年月がたつた後の証言において、ある程度あいまいな供述になるのは、けだし、当然である。

また、原判決は、控訴人が甲第一号証の表紙が昭和五一年一月合綴したと主張することをもつて、原審認定の根拠としているが、これも、全く理由にならない。原審は、この主張が虚偽だというのであろうか?。それなら、その理由を示すべきであろう。その理由付けは全くふれられていないのである。一体、右の主張をすること自体が、契約の不存在を立証するいかなる理由となるのであろうか。

むしろ、甲一号証の表紙の内の一枚目上段に、「土地売買契約書」とある右側に捨印が二つ押されているのは、同所に収入印紙を貼り、その消印用に捨印をしたものとしか考えられず、同契約書が調印された時点では、表紙がついていなかつたことを明瞭に物語つている。

それにしても、右各証拠からは、契約が福岡広の自宅と銀行の二回行なわれたこと、柳達雄が関与していること等は確実である。従つて、他に明瞭に甲一号証の契約の成立を否定する証拠はないのであるから、同契約の成立を認定すべきであつた。

第二 原判決は、次の諸点について、立証の負担(立証の必要)を各当事者にどう負わせるかについての判断を誤り、上告人に事実上不可能な立証の負担を負わせ、もつて行政処分、行政訴訟におけるデユープロセスの保証を欠き、判決に影響を及ぼす憲法違背がある。

一 法人税更正処分という国民に不利益を課する行政処分は、その認定手続も憲法三一条のデユープロセスの保障の下になされるべきことは異論のないところであろう。そして右事実認定の挙証責任は、あげて国家の側に負担させるべきである。そしてこの趣旨から、処分をうける側で立証すべき抗弁事実等の立証においても、国民の側に無理を強いるものであつてはならない様に配慮されるべきである。具体的には、時々の立証の負担が、国民に不可能を強いるのであれば、それ自体がデユープロセス違反と考えるべきである。

二 右の法理を本件にてらしてみれば、上告人の側において、前述してきたように、裏金が存在したのではないか、二回目の契約がなされたかも知れない等の点で一応の証拠を提出しており、かつ、それら証人の証言に多少のあいまいさがあつたとしても、それ以上明瞭な証拠を提出することは、事柄の性格や、長い年月を経た後の証言であることなどから不可能であるので、これらの点での立証の負担はむしろ被上告人の側に負わすべきであつたのである。即ち、被上告人の側で「裏金が存在しなかつたこと」「契約は一回しかなく、二度目の契約は存在せず、柳達雄なる人物は一切関与していなかつたこと」などを、積極的に立証し尽さなければならないというべきである。

しかるに、原判決の論理は、これと逆転し、上告人の申請した証人が裏金の存在を供述しているのに、その内容が不明瞭だから「裏金の存在」は措信できない、甲一号証の契約成立についても、これを認める証言があるのに、その内容があいまいだから「成立を認めるのに十分でない」というのであり、これらの立証・負担を上告人に負わせているのである。

三 右の上告人に負わされた負担は、税務署という国家機関と一私人との様々な力の差を指摘するまでもなく、上告人に不可能を強いるものである。とりわけ、前述したように、長い年月が経過していることや、直接自らが文案を書いたり署名したりしているのではなく単に立ち会っただけの者であつたりすることなどから、関係者の記憶が次第にあいまいとなり、その証言に不明瞭な点があるのは、けだし当然である。また「裏金1」という事柄の性質から、関係者の利害がからみ、その証言が多少くいちがつていることは、これも当り前であり、各証人が裏金の存在自体を明瞭にみとめたこと自体が重要であることも既に指摘したところである。これ以上に「不明の点」をなくし「曖味」でない証言を求めることは、到底不可能である。

こうした不可能を強いる原判決が憲法三一条の保障するデユープロセスに反することは、もはや明らかである。この点においても、原判決は破毀せらるべきである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例